コロナ禍という、誰も経験したことのない状況が続いていた頃、
私の心は気づかないうちにじわじわと疲れていました。
先の見えない不安、生活の乱れ、社会全体に漂う閉塞感。
それらが静かに積み重なり、
心の奥に小さな重りのようにのしかかっていたのです。
自分では「大丈夫」と思っていました。
それなりに仕事もこなし、日常をまわせているつもりでした。
けれど、心は確実に消耗していました。
その疲れは、まず“食”に現れました。
手軽に満たされるものへと、
無意識に手が伸びてしまう。
甘いもの、しょっぱいもの、脂っこいもの——
その瞬間だけ、心のざわつきが消えるように感じられるからです。
しかし、満たされるのは本当に一瞬でした。
そのあとは決まって、
「またやってしまった」という後悔が静かにやってきます。
不安が食を乱し、
乱れた食が心をさらに疲れさせ、
その心がまた乱れた食を呼ぶ——
気づけば私は、ゆっくりとした悪循環の中を回っていました。

人は心が疲れていると、
本当に必要な行動ではなく、
“すぐに心が楽になる行動”を選んでしまいます。
それは弱さではありません。
むしろ、心が自分を守るための反応です。
けれどその反応は、
結局のところ、私をさらに苦しめていました。
「痩せたい」という思いは確かにある。
けれど、不安や焦りでいっぱいの心には、
長期的に良い選択を支える余裕がないのです。
頑張れば頑張るほど苦しくなるのは、
意思が弱いからではありません。
心の容量が限界に近づいているだけ。
疲れ切った心で、正しい選択を続けることはできません。
心が乱れれば行動が乱れ、
行動が乱れればまた心が乱れる。
この循環を断ち切るには、
行動を変える前に、
まず心を整える必要がある。
これに気づけたことが、
後の大きな変化の第一歩でした。


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