20kgの減量を達成したとき、
鏡に映る自分の姿は確かに変わっていました。
けれど、それ以上に大きかったのは——
“自分を雑に扱わなくなったこと” でした。
以前の私は、
疲れたら食べ、
ストレスがあれば甘いもので誤魔化し、
眠気にはカフェインを重ね飲みし、
気分の落ち込みをごまかすためにジャンクフードに走る。
体を「道具」のように扱い、
心を「消耗品」のように扱っていました。
“どうせまた続かない”
“これくらい自分に甘くても仕方ない”
そんな言葉を心の中で繰り返しながら、
自分自身に対する扱いも、期待も、
どこか低く見積もっていました。
■ 自分を変えたのは「成功」ではなく「整った実感」
しかし、断食、朝活、運動、読書…
これらをコツコツ積み重ねるうちに、
心と体に小さな“変化の兆し”が現れました。
・朝の目覚めが少し軽い
・歩くのが楽になった
・甘いものを欲しがらなくなった
・イライラが減った
・判断がクリアになった
これらの小さな変化が重なると、
ふと、こう思う瞬間が訪れます。
「あれ、自分ってもしかして…大切に扱う価値のある存在なのでは?」
痩せたことよりも、
むしろこの感覚こそが、
人生を静かに分岐させる強力な転換点でした。
■ 「雑に扱う自分」とサヨナラする日
自分を粗末に扱う時、
人はどこかで“どうでもいい”という諦めの色を帯びています。
・どうせ自分なんて
・頑張ったところで変わらない
・少しくらい崩しても平気だ
そんな考え方が、
心を少しずつ曇らせていきます。
しかし、生活が整い、
体が整い、
心が静まり、
衝動が減り、
判断がクリアになっていくと——
雑に扱うという選択が
“似合わない自分”になっていきます。
まるで、古い服を自然と手放すように。
■ 自尊心は、努力ではなく「整った状態」から生まれる
一般的に「自尊心」は
精神論や自己啓発の文脈で語られがちですが、
私はそうではないと気づきました。
自尊心とは、
“整った自分を体験したときに自然と湧き上がるもの” です。
・スッと歩ける体
・感情に振り回されない心
・選択がぶれない思考
・無駄のない生活
・誇れる小さな習慣
こうした積み重ねが、
人の内側に「私は大事にされるべき存在だ」という
静かで揺らがない感覚を育てます。
努力して“自分を大切にしよう”とするのではなく、
整った生活が“自分を大切にしたくなる私”を作るのです。
■ 「これなら続けたい」と思える生き方が育つ
自分を粗末に扱わなくなると、
選ぶものが変わります。
・体が重くなるものを自然と避ける
・夜更かしをしない
・無駄なストレスから距離を置く
・心を疲れさせる人間関係を調整する
・未来の自分が喜ぶ選択をする
これらは意志の強さではありません。
“大切にしたい自分”が自然と選ぶ行動 なのです。
痩せたことはきっかけに過ぎません。
その奥に育ったのは、
「これからも自分を大切にして生きていく」
という静かな決意でした。
20kg減はゴールではなく、
自分を粗末に扱わない生き方への入り口。
私はそう感じています。

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